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舛添要一
舛添要一(ますぞえ よういち、1948年11月29日 ‐ )は、日本の政治家、政治学者|国際政治学者、タレント。参議院議員(2期)。自由民主党 (日本)|自由民主党参議院政策審議会長。株式会社舛添政治経済研究所所長。
概要
福岡県八幡市 (福岡県)|八幡市(現北九州市八幡東区)生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て東京大学入学。法学部政治学科卒業後、ヨーロッパ政治史を専攻し、助手として研究室に入った。その後欧州に留学し、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、ジュネーブ高等国際政治研究所客員研究員などを経て東京大学教養学部助教授。フランスの政治・外交を専門とし、国際関係論などを講じていた。1980年代末から『朝まで生テレビ!』などの討論番組に頻繁に出演し、テレビ映えする討論スタイルで脚光を浴びる。テレビ出演に引っ張りだこだった1989年6月に東京大学を退職しフリーに。90年代にかけては東欧民主化や湾岸戦争で国際政治が注目され、また国内ではリクルート事件、消費税導入などを経て自民党体制が揺らぎ、やがて政界再編に突入、オウム真理教事件や少年犯罪など社会を揺るがす事件も増える中で、彼に代表される新鋭の学者・評論家はテレビで大いに活躍、「文化人」と呼ばれる知的タレントとしてお茶の間の人気を博した。政治とのかかわりでは、1991年、北海道都道府県知事|知事選挙に、自由民主党から擁立されて立候補を検討。しかし、それまで北海道には何のゆかりもなく、知名度で担がれたため、出馬表明前の事前調査で現職候補・横路孝弘との圧倒的な差を見て、出馬を辞退した。1999年4月には東京都知事選挙に無所属で出馬し、石原慎太郎の圧勝の前に3位で落選したが84万票を獲得した。
森喜朗、藤波孝生、田原総一朗、高野孟らとともに青の会という勉強会をつくり、参加していた。2001年7月、第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選に比例代表区から立候補(自由民主党)し、1,588,862票を獲得しトップ当選。2005年、自民党が結党50年に発表した憲法草案においては、党新憲法起草委員会の事務局次長として草案作成の取りまとめに大きな役割を果たした。そのことも評価され、2006年10月、安倍政権発足に伴い当選1回ながら自民党参議院政策審議会長に就任した。また、小泉政権末期で論議となった皇室典範改正論議では女系天皇容認の立場である。高い知名度から議員となってからもテレビ出演の機会は多く、党のスポークスマン的な役割を果たしている。2007年4月より、朝日ニュースター『政治学原論』のキャスターとして週1回ゲストと討論している。2007年7月22日、大阪で選挙演説をしていた彼が、演説を終えた直後近づいてきた39歳の男性に襲われ制止しようとした地元の中山泰秀衆議院議員の公設秘書が怪我をする事件が起きた。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙|第21回参院選では、再選を目指し自民党公認で比例代表区より立候補し、自民党トップで当選。しかし、前回の1,588,862票には遠く及ばない467,735票であった。
人物・エピソード
*2000年に実母が亡くなるまでの数年間は、介護のため週末は北九州で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症であったこの母の介護体験記「痴呆症の母を守って家庭崩壊」を『婦人公論』に連載(『母に襁褓をあてるとき――介護・闘いの日々』として後に中央公論社より刊行)。母の介護を巡る困難や親族との軋轢などを赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。
*上述の『朝まで生テレビ!』には草創期からの常連出演者で、番組20年目を迎えた2006年春までの229回の放送中95回に出演。これは大島渚(87回)、高野孟(66回)、西部邁(53回)などを凌いでトップである。
*英語、フランス語に堪能で訳書も多い。その他のヨーロッパ諸言語にも通じ、『舛添要一の6カ国語勉強法』という本を出版した。
*留学先のフランスで始めた柔道は講道館二段である。
*最初の妻はフランス人、その後離婚。2度目は片山さつきと結婚、その後離婚。片山さつきとの縁を取り持ったのは政治家の近藤鉄雄。現在は元秘書だった女性と3度目の結婚。二回目の離婚について「奥さんが遅いと怒り散らし、殴る蹴るの騒ぎ。二階の窓から本を投げたりするものだから、奥さんは埼玉の実家に逃げ帰ってしまったこともある」との舛添の夫婦生活の実態を知る関係者の証言が報道されたことがある。
*週刊文春「デーブ・スベクターのTOKYO裁判」で、中国天安門事件に関し舛添氏は「いや共産主義じゃなくとも、百万人ぐらい殺せる大政治家じゃないとどこの国でもダメだってこと」「僕は宇野さんに何十人愛人がいてもいいと思う。企業から何億円お金もらったっていいと思う。大事なのは彼がどういう政策を実行するかという点です。へソの下はどんなにダーティでもいい」「土井たか子みたいに男に恵まれないような女性に限って、男の浮気を批判するんだ。金丸信がいったように、男も知らない女が党首になっちゃ、社会党もダメだね。人類の半分を知らない奴に政治はできない」「政治家にはものすごいエネルギーが要求されるの。日本国民一億二千万人を救うためなら、軍隊を出動させることだってある。自分の嫁さん以外の女の一人や二人抱くぐらいのエネルギーがないような奴に日本の政治は任せられないよ」と発言し、物議を醸した。
*フジテレビ系「平成教育委員会|たけし・逸見の平成教育委員会」にセミ・レギュラー出席。司会進行役のビートたけし|北野武先生には「軍鶏みたいな顔」と見立てられた。当然とも言えるだろうが、最も正解率が高かった教科は、社会 (教科)|社会であった。
*平成教育委員会の特別授業で、和室を歩く際の注意事項や食事時のマナーについての問題が出題。「食事を楽しむマナーとして、テーブルにつく前に手を洗ったり衣服や毛 (動物)|髪の毛の乱れを整えます…」との出題で、シンキングタイム中に北野先生が「髪の毛のない人は、別に整えなくていいですよ」と発言。その際に、画面は舛添の解答している姿を映し出した。
*東京放送|TBS系「オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!」で石田純一等と共に解答者として出演。「舛添要一さんの学生時代の愛称|あだ名は何だったでしょう?」との出題に、石田は速攻で解答ボタンを押し「ハゲ!」と解答。舛添は苦笑いを越して大笑い・大ウケ。石田と同じチームとして参加していた今井美樹も、涙を流しながら大笑いしていた。
*2回目の東京都知事選出馬を睨んでいた2000年、札幌テレビ制作の「爆笑問題のススメ|号外!!爆笑大問題」で、同年12月に開通予定の都営地下鉄大江戸線|都営地下鉄12号線の国立競技場駅|国立競技場開業を機に、東京都交通局|都交通局が正式名称を公募した事を番組で扱った際に、舛添がゲスト出演。舛添は「都庁から出て都庁に戻るから『都庁線』がいい」と発言。理由を問われて「いやぁ、次の(東京)都知事選の事があるから…」と、苦しい説明をし、MCの渡辺正行らからは「『なら、都知事線』がいいんじゃないか」、挙句に太田光からは「いやぁ、舛添さんだったら『落線』がいいですね」と突っ込まれる。
*2000年問題のとき、あまりにも大げさに騒ぎすぎたこともあった。ホテルの缶詰などを楽しそうにルンルン気分で用意していたが、想定された騒動は起こらなかった。
ちなみに、上記の件を「号外!!爆笑大問題」で「着々と準備中」とトーク。が、不用意に「自分は山かどこか安全な所にテントでもたてて、民間人は…(手助けしない)。」と発言。渡辺正行から「それじゃ、あんた都知事選に落選するよ。」と、突っ込まれた。
*2000年には、映画『ちんちろまい』に出演。ほんの数秒ではあるが武田鉄矢演じる主人公に鞄を渡す男として銀幕デビューを果たした。
*政界入り以前は競走馬も保有しており、サプライズパワー(東京ダービー、かしわ記念、日本テレビ盃の勝馬)の馬主としても知られる。
*1992年に舛添自らが登場するファミコンゲーム「舛添要一 朝までファミコン」(ココナッツジャパンエンターテインメント)を出したことがある。
*ファイティング・ナイフやハンティング・ナイフのコレクターで、東京でサミットが開かれて厳戒体制がしかれているさなか、日産テラノの荷台に何本かのナイフと1本の木刀を載せて都内を走っていて逮捕されそうになったという。
*1996年3月放送の朝まで生テレビ!(テーマ:ホンネ激論!日韓共生の道はあるか!?)において、2002年の2002_FIFAワールドカップ|ワールドカップ誘致合戦に話題が及ぶと「私に言わせればサッカーなんてたかが球ケリですよ! たかが球ケリの為に日韓関係が壊れてはいけない。ぜひ次のワールドカップは韓国で開催して頂きたい。それで日韓関係が良くなるのならそのほうがいい。」と発言。韓国側のパネリストから拍手を受けた。
*ビートたけしのTVタックルにおいては、大竹まことや田嶋陽子が天敵であり、ライバルとなっている。本人は政治的主張で大竹に反論しても、大竹からは外見的特長で反論されることが多い(例:「いや、僕はハゲてないから」、「いや、僕はハゲは嫌いだからな」など)。こうやって返される本人は「もうイヤだ(笑)」といって呆れ返ることが多い。お互いこういった展開になることはわかっておりわざとイジりあっている。この2人の短いが抜群の討論は、この番組の一つの見ものとなっている。
*郵政造反組復党問題では復党に賛成で、「小泉という血も涙もない男が勝手にやったこと」とする立場だったが、世論の反発が高まると、一転して反対に転ずる。落選していた衛藤晟一の復党・参院選出馬が持ち上がった際は「百害あって一利なし」などと発言している。
*麻生太郎外相の「アルツハイマー発言」を受けて、「バカと一緒になりたくない」と街頭演説の時間をずらすなど、党執行部にいながらも自由な発言をする。
*尊敬する政治家は野中広務と青木幹雄である。また党の部会への出席率は高く、野中からは「自民党議員は舛添さんを見習うべき」と評された。

